女性NICOが薬物依存症になり、回復目指す日々と差別や偏見の厳しい世間

普通な人間が薬物依存症になり、波乱万丈な毎日、そして治療や回復までの道のり。

田代まさし氏について考察した記事

コピペですみません、こんな心あたたまる記事があったそうです。


NIFTYニュース



 依存症は誰の身にも起こりうる“現代病”である。コラムニストのオバタカズユキ氏が田代まさし容疑者について考察した。


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 今月6日、タレントの田代まさしが覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕された。2001年12月に同違反で捕まってから、実に5度目の違法薬物での逮捕。ニュースで知った時は、「またまたやっちまったのか……」と私も正直呆れたし、「これは世間からありったけの罵詈雑言を浴びることになるぞ……」と思った。


 ところが、である。さっそく各マスコミが大きく報じても、その論調は意外とおとなしく、「薬物の闇はどこまでも深い」といったふうに無難なまとめ方をしているところが多かった。ふだんは煽ってナンボの商売をしているスポーツ新聞系のウェブニュースやテレビのワイドショーなども同様で、薬物依存の怖さを過剰なほど強調することはあっても、田代の人格否定に走るような乱暴な表現はほとんど見かけなかった。


 芸能人の違法薬物逮捕といえば、ヘリを飛ばして生実況するは、逮捕者のプライベートについてあることないこと暴きまくるは、コメンテーターに毒づかせるは、といったお祭り騒ぎになるのがお決まりだったはず。なぜ今回は調子が違うのか。


 ひとつにはもう5度目で、「今さら驚くでもなかった」ということが考えられる。もうひとつに、いつしか病気としての薬物依存に関する知識が徐々に広まって、「叩くよりも心配する」問題に変わってきているところなのかもしれない、と思われる。


 世間の反応をネットから拾ってみても、やはりそうだった。当初一番目についたのは、〈田代まさしまたかw〉〈田代まさしまた逮捕されてて草しか生えんわ〉〈田代まさしの逮捕はもはやお家芸と思うのは僕だけですか〉といった「呆れ系」。まあ、それはそんなものだろう。


 次いで多いと思われた「人格否定系」が実はとても少なかった。ツイッター検索をしつこく続けても、それに該当したのは、〈やめちまえ! 人間を 田代まさし〉〈田代まさしほんとバカやなぁ 終身刑にして欲しい〉〈もうこの人に関わるな。 特に桑マンと志村けんには、田代まさしには近寄らない方がいい〉くらい。罵詈雑言の嵐を覚悟の上で探したのだが、いい意味で肩透かしを食らった。


 意表をついて多かったのは、「私だって依存してる系」である。ちょっとウケを狙いの大喜利みたいな気分で書いているふうもあるが、「違法薬物依存者=人間やめた人」という見方が圧倒的主流だった頃を思うと、この視線の変化には目を見張るものがある。


〈田代まさしがまた捕まったが驚かないな。ダイエットの為に白米を食べるのを、やめたいのに、白米すら、やめれない私が、もし覚せい剤やったら絶対やめれないんだろうな。依存は怖い〉


〈この中でTwitterをやめられた者だけが田代まさしに石を投げなさい〉


〈どうしてもタバコがやめられなかったり、明日仕事だってのに遅くまで飲んでしまったり、職場の上司とダラダラと不倫関係を続けてしまったり。。そんな俺達に田代まさしを批判出来るのか!俺達はみんな田代まさしじゃねえか!〉


 そして、今回、もっとも特徴的だったのは、マスコミがそうだったように、「薬物依存の怖さに言及系」が、ツイッターの声としても少なくなかった点だ。


〈田代まさしさん、人生をかけて薬物依存の怖さをあらゆる報告から説いてる...〉


〈田代まさしを刑務所に入れるより隔離病院で治療の方がいいと思うよ、病気やから。 あれだけ同じ事を繰り返したら、刑務所に入れても何の解決にならないけどなぁ…〉


〈田代まさしみたいにヤクブツで何回も捕まる常習犯はリハビリ施設に入院させて離脱させるべきだと思う。本人の反省だけでは覚醒剤やコカイン中毒からは抜けられないから。日本はヤクブツ中毒者結構多いからリハビリ施設を増やすべきでは〉



「孤立の病」とも言われるような薬物依存症の患者を、隔離病院に入れては逆効果のような気がする。けれども、〈刑務所に入れても何の解決にならない〉というのはまったく同感で、少なくとも田代まさしの場合、これまで4回刑務所に入れてもまた薬物に手を出して逮捕されたわけだ。再発抑止としての刑罰の無力ぶりを証明してしまっている。日本の違法薬物使用者に対する厳罰主義は、初犯を減らす意味では有効だ。だが、高い再犯率を下げる効果はなさそうだ。


〈常習犯はリハビリ施設に入院させて離脱させるべき〉というのはその通りだろう。今回の田代まさしの場合、薬物依存症リハビリ施設のダルク(DARC)とつながっていながら逮捕に至ってしまったわけだが、それはダルクが無効なのではなく、彼と彼が通っていたダルク施設との相性がたまたま合わなかったのか、もっと他の支援ともつながるべきだったのではないか、と専門家たちは指摘している。


 いずれにせよ、こうして違法薬物での逮捕ニュースから「依存とはどういうことか」と考えたり、「刑罰よりも治療が必要だ」と意見したりする人たちが増えてきていることは、喜ばしい話だと思う。ツイッターの中にこんな声もあった。


〈職場の休憩室で田代まさしまた捕まったよってみんなが笑ってることに嫌悪感を感じた てめえらはその苦しみわかんのかよ 自分が知らない苦しみは全部笑うような社会がイヤだわ〉


 この感じ方、対象との距離の取り方、私は好きだ。法を犯した全くの他人の問題として遠ざけるのではなく、自分と地続きの存在としてその気持ちを想像してみるような関わり方。一見、安易なヒューマニズムとも思われそうだが、たぶんこの声はそうじゃない。人は一人で生きられないという大原則を、皮膚感覚で捉えている。


 田代まさしのような苦しみを抱える人にとって必要なものは何か。この分野の研究と治療の第一人者といえる精神科医の松本俊彦氏の主著『薬物依存症』(ちくま新書)の中に、こんな一節がある。


〈薬物依存症から回復しやすい社会とは、「薬物がやめられない」と発言しても、辱められることも、コミュニティから排除されることもない社会です。それどころか、その発言を起点にして多くの援助者とつながり、様々な支援を受けることができる社会――つまり、安心して「やめられない」といえる社会ということになります〉


「やめられない」といえば、まさにその田代まさし自身が、薬物依存者の実態を知ってもらおうと、ここ数年、公の場であえて口にしてきた言葉だ。今年の7月に放送されたEテレの『バリバラ』では、こう語っていたそうだ。


「捕まる度にファンをがっかりさせた、家族に心配をかけた、もう二度とやってはいけないって強い意志を持つんだよ。それでもね、目の前に(クスリを)出されたり辛いことが起きると、大切なものよりも魔力が勝っちゃうんだ」


 今回も残念ながら魔力が勝ってしまったわけだが、このような田代の正直な言動に勇気づけられてきた薬物依存者はたくさんいると聞く。そういう意味でも、田代まさしの次の復帰を受け入れることのできる社会であってほしい。おそらく実刑を食らうのだろうが、刑務所から出てきたら、講演でもユーチューブでもいい。また「啓蒙」活動に取り組むような、チャレンジングな彼の姿を見たい。


 追記になるが、上で触れた『バリバラ』の放送動画。ネット上でいつでも見られるようになっていたのだが、説明なしで、削除されてしまった。一方で、同じNHKの『ハートネットTV』による、田代まさしがダルクを紹介する動画はネットに残っている。『バリバラ』がなぜ『ハートネットTV』のようにできないのかはわからないが、どちらも大変貴重な資料だ。こちらの復活も強く願う。


素晴らしい事を書いてくれてますよね!



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